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水クレジット市場の現在地—カーボン・ネイチャーに次ぐ”第3のクレジット”は離陸するか

Takeaways
The Big Picture

世界人口の半数が水ストレス地域に暮らす時代、カーボン・ネイチャーに続く"第3のクレジット"として水クレジットへの関心が高まる。しかし水の「ローカル性」という本質的課題が、グローバル市場形成の壁となっている。

Why It Matters

農業から製造業、IT産業まで、あらゆるセクターで水リスク対応が経営課題に浮上している。

深刻化する水不足—セクター横断の経営リスク

国連によれば、世界で20億人以上が安全な飲料水へのアクセスを欠き、40億人が年に1回以上の水ストレスを経験している。2050年までに世界人口の4人に1人が慢性的な淡水不足に直面する国に暮らすと予測される。世界経済フォーラム(WEF)の試算では、水不足により脅かされる世界GDPは58兆ドル(約60%)に達する。

水消費の構造を見ると、農業が全体の約70%を占め、工業用水が約20%、生活用水が約10%という配分である。しかし近年、特定セクターの水消費増加が注目を集めている。

AIデータセンターはその象徴的な例だ。大規模施設は1日あたり最大500万ガロン(約1,900万リットル)を消費し、人口5万人規模の都市に匹敵する。AI処理に特化した施設は従来型の10〜50倍の冷却水を必要とするケースもあり、テキサス州ではデータセンターの水消費が2030年に3,990億ガロンに達するとの予測がある。

しかし、水リスクはIT産業だけの問題ではない。半導体製造では1チップあたり2,000〜3,000ガロンの超純水が必要であり、繊維産業ではTシャツ1枚に約700ガロン、食品産業ではハンバーガー1個に400ガロン以上の水が使われる。サプライチェーン全体で見れば、ほぼすべての産業が水リスクと無縁ではいられない。


水クレジットとは何か—既存の仕組みと類型

こうした水不足に対する市場ベースの打ち手として、「水クレジット」への関心が高まっている。ただし、この用語は複数の異なる仕組みを指して使われており、整理が必要である。

規制型 米国EPAが推進するWater Quality Tradingは、汚染物質(主にリン・窒素)の排出削減をクレジット化し、排出者間で取引する制度である。規制遵守のためのコスト効率化が目的であり、20年以上の実績がある。ただし、これは水質に関するものであり、水量の取引ではない。

認証型 Alliance for Water Stewardship(AWS)は、サイト単位での水管理を認証する国際基準である。世界300以上のサイトが認証を取得しており、Core・Gold・Platinumの3段階がある。Version 3.0が2026年にリリース予定だ。これはクレジット取引ではなく、水管理の品質保証に近い。

補充型(Volumetric Water Benefit) World Resources InstituteとThe Nature Conservancyが開発したVolumetric Water Benefit Accounting(VWBA)は、水の補充量を定量化する方法論である。企業が「Water Positive」(消費量以上の水を補充)を主張する際の計測基盤として活用される。Gold StandardはこれをベースにWater Benefit Certificates(WBC)を発行している。

投資型(Water Credit構想) 2025年1月のダボス会議で、シンガポールのTharman Shanmugaratnam大統領は「カーボンクレジット市場のインフラに、水と生物多様性をステープル(連結)する」ことを提案した。カーボン市場の取引基盤・検証体制を活用し、水や生物多様性への投資も取引可能にしようという構想である。


カーボン・ネイチャーとの比較—水クレジットの構造的課題

水クレジットがカーボンやネイチャーと並ぶ「第3の自発的クレジット市場」として成立するには、いくつかの構造的課題がある。

ローカル性の壁 CO2は大気中で均一に拡散するため、ブラジルで吸収した1トンは日本で排出した1トンと「同等」と見なせる。生物多様性も、生態系サービスの観点からは一定の代替可能性がある。しかし水は流域ごとに完結しており、熊本で涵養した地下水はアリゾナの水ストレスを緩和しない。この「代替不可能性」が、グローバル市場形成の最大の壁となる。

オフセット概念の適用困難 カーボンオフセットは「削減努力を尽くした上で残る排出」を相殺するという建前がある。水の場合、消費量を「ゼロ」にすることは事業継続と両立しない。かつ、水消費を他所での涵養で「帳消し」にしても、取水地の生態系や地域住民への影響は消えない。

測定・検証の複雑さ 水量・水質・水へのアクセス・生態系への影響など、水の「価値」は多次元的である。カーボンの「tCO2e」のような単一指標への集約が困難であり、プロジェクト間の比較可能性を担保しにくい。

重複主張リスク 水涵養プロジェクトの成果を「クレジット」として販売し、購入企業が自社の水消費を「相殺」したと主張すれば、同じ涵養効果が二重にカウントされる。この問題はカーボンでも指摘されてきたが、水のローカル性ゆえにより深刻となる。


「オフセット型」は困難、「投資型」なら可能性あり

筆者は、カーボンと同様の「オフセット型」水クレジット市場が成立する可能性は低いと考える。水のローカル性と代替不可能性は、市場設計上の根本的制約である。

一方で、「投資型」クレジットとしてなら成立しうる。Verra Nature Frameworkが発行するネイチャークレジットは、生態系の改善効果を認証するが、それを購入しても自社の生態系破壊を「相殺」できるとは主張できない。あくまで「自然への正の投資」であり、企業は投資実績として開示する。水クレジットも同様の位置づけ—すなわち「水資源への正の貢献」を認証・取引するもの—であれば、整合性のある市場設計が可能かもしれない。

ダボス会議でのステープル構想は、この方向性を示唆している。単独の水クレジット市場を立ち上げるのではなく、カーボン・ネイチャープロジェクトに水関連の「共便益(co-benefit)」を付加し、その価値を可視化する。これならば既存のインフラを活用でき、水のローカル性もプロジェクト単位で評価可能となる。


セクター別の対応アプローチ

水クレジット市場の成否にかかわらず、水リスクへの対応は待ったなしである。セクターごとに取りうるアプローチを整理する。

農業・食品セクター 水消費の最大セクターとして、灌漑効率化や水再利用の余地が大きい。VWBAに基づく補充プロジェクトとの親和性も高い。サプライチェーン上流の水フットプリント把握がTNFD対応の鍵となる。

製造業(半導体・繊維等) 超純水の使用量削減と再利用率向上が優先課題。立地選定における水リスク評価の重要性が増している。

IT・データセンター事業者 ハイパースケーラー各社(Microsoft、Google、Amazon AWS、Meta)は「Water Positive」を掲げ、2030年までに消費量以上の水を補充すると宣言している。Microsoftは2024年8月以降の新規施設でゼロ水冷却設計を標準化し、AWSは水使用効率を0.15L/kWh(業界平均の約12分の1)まで改善した。

ただし、補充プロジェクトの多くは取水流域と異なる場所で実施されており、「実質的な補充」と呼べるかは議論がある。また、電力生成に伴う間接的な水消費(発電所の冷却水など)は直接消費の約12倍に達するとの試算もあり、Scope 3的な水フットプリントの把握が今後の課題となる。

金融機関・投資家 TNFD対応に伴い、投融資先の水リスク評価が求められる。MSCIの分析によれば、世界のデータセンター資産の相当数が2050年に向けて水ストレス増加地域に位置している。水リスクは物理的リスクであると同時に、規制・評判リスクでもある。


日本企業への示唆

日本でも水保全のアプローチとして “クレジット” の道を模索する例が出てきている。サントリーホールディングスは2025年5月、地下水涵養効果を定量評価し「ウォータークレジット」として認証する組織の設立を発表した。雨庭(レインガーデン)の設置などで地下水涵養量が増加したことを測定・認証し、土地開発事業者などに販売する構想である。

環境省もEYと共同で「ウォーターポジティブに資する取組の価値」に関する報告資料を策定し、水の価値の可視化を推進している。2025年2月には「CDPウォーター×環境省Water Projectセミナー」が開催され、TNFD開示やNature SBTsの淡水目標について議論された。

日本は世界的に見れば水資源に恵まれた国だが、地域によっては渇水リスクがあり、また海外サプライチェーンを通じて水ストレス地域の水資源に依存している。さらに近年のAI普及に伴う水需要増加を受け、日本中の水源買い占めなどの懸案が浮上している。TNFD開示においても水関連の情報開示は拡充が見込まれ、企業は自社事業とサプライチェーン全体での水リスク把握が求められる。

水クレジットが「第3の市場」として独立するかどうかは未知数だが、水への投資と情報開示の重要性は確実に高まっている。オフセットではなく、「水資源への正の貢献」をどう可視化し、どう事業価値に結びつけるか—その問いに向き合う時が来ている。


参考文献・出典

  • United Nations Water (UN-Water)
  • World Economic Forum, “How credit markets are evolving in climate and nature finance,” January 2025
  • Brookings Institution, “AI, data centers, and water,” November 2025
  • Environmental and Energy Study Institute (EESI), “Data Centers and Water Consumption”
  • Lawrence Berkeley National Laboratory, “2024 United States Data Center Energy Usage Report,” December 2024
  • MSCI, “When AI Meets Water Scarcity: Data Centers in a Thirsty World”
  • Lincoln Institute of Land Policy, “Data Drain: The Land and Water Impacts of the AI Boom,” October 2025
  • IEEE Spectrum, “The Real Story on AI Water Usage at Data Centers,” September 2025
  • US EPA, “Water Quality Trading”
  • Alliance for Water Stewardship (a4ws.org)
  • CEO Water Mandate / WRI, “Volumetric Water Benefit Accounting (VWBA): A Practical Guide,” 2021
  • PMC / Environmental Science & Technology, “Decarbonizing Water: The Potential to Apply the Voluntary Carbon Market toward Global Water Security,” 2024
  • NTTデータ経営研究所「水の価値取引による水資源保全に向けたアプローチ」2025年6月
  • 環境省「CDPウォーター×環境省Water Projectセミナー」2025年1月
  • EY Japan「ウォーターポジティブに資する取組の価値」2025年5月
  • 日経「水クレジット創出へ水源涵養評価 サントリーが認証組織」2025年5月

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