クレジット市場における構造的ジレンマの存在
前稿「クレジットは『免罪符』ではなく『投資』である」において、オフセット主張の原則禁止と、クレジットの「投資型」への再定義を提唱した。本稿はその続編として、この理想をどのように市場に実装するかを論じる。
Verraをはじめとするルールメーカーの思想は正しい方向を向いているが、現行の市場構造のままでは浸透しない。必要なのは、インセンティブ構造そのものを再設計する「破壊的」アプローチと、既存の仕組みを漸進的に改善する「現実的」アプローチの両輪である。
本稿では、まずルールメーカーが直面する構造的ジレンマを整理し、その後に10の具体的な処方箋を提示する。
ルールメーカーの苦悩:5つの構造的ジレンマ
Verraは2024年以降、中国の米栽培プロジェクト37件を却下し、4つの監査機関を停止処分とするなど、品質管理の姿勢を強化している。しかし、これらの対応は「事後的」であり、問題が公になってからの是正措置にとどまる。なぜ事前に防げないのか。その背景には、ルールメーカーが抱える構造的なジレンマがある。
1. 品質と規模のトレードオフ
厳格な基準を設ければ品質は担保されるが、認証プロセスは長期化し、コストは上昇し、参入障壁は高くなる。結果として市場は縮小し、「民間資金を動員する」という本来の目的が果たせなくなる。一方、基準を緩めれば市場は拡大するが、低品質クレジットが横行し、グリーンウォッシュ批判を招く。
Verraが2024年に「リスクベース・アプローチ」による審査迅速化を発表した際、批判者から「品質より量を優先している」と指摘されたのは、このジレンマの表れである。
2. 監査人の利益相反
現行の認証システムでは、プロジェクト開発者が監査人(VVB: Validation and Verification Body)を選定し、報酬を支払う。監査人にとって、クライアントである開発者に不利な評価を下すことは、将来の受注を失うリスクを意味する。この構造的な利益相反が、84%以上のクレジットが実際の排出削減を反映していないとする研究結果の一因となっている。
Verraは2024年に監査人のパフォーマンス監視プログラム(PMP)を導入したが、これは対症療法であり、利益相反の構造自体は解消されていない。
3. 追加性証明の本質的困難
「クレジット化がなければ実現しなかった」という追加性の証明は、反事実(counterfactual)の立証を求めるものであり、本質的に不可能である。ベースラインシナリオ——何も介入しなかった場合の将来予測——は、設計者の裁量に大きく依存する。Guardian紙の調査が指摘したREDD+プロジェクトにおける森林減少予測の過大評価(400%以上)は、この問題の象徴である。
4. 収益モデルとの相克
Verraは発行手数料を主要な収益源としている。クレジット発行量が増えれば収益も増える。この構造は、発行を抑制するインセンティブを弱め、品質管理との間に緊張を生む。非営利組織であっても、組織維持のための収益確保は避けられず、ここに構造的な利益相反が生じる。
5. グローバル統一基準の限界
炭素は大気中で拡散するためグローバルに代替可能だが、水や生物多様性はローカルな文脈に依存する。にもかかわらず、ネイチャークレジット市場はグローバルに統一された基準を志向している。Verra Nature FrameworkのQha(Quality Hectare)は優れた設計だが、ボルネオの熱帯雨林と北海道の湿原を同じ単位で測定することの妥当性は、本質的な問いとして残る。
10の処方箋:理想を実装するために
これらのジレンマを踏まえ、クレジット市場を「機能する投資メカニズム」へと転換するための処方箋を提示する。前半5つは「破壊的」アプローチ、後半5つは「現実的」アプローチである。
【破壊的アプローチ】
1. 「クレジット」から「貢献証明書」への名称変更
最も根本的な提案から始めたい。「クレジット(credit)」という言葉自体が、オフセット——つまり借りを返す、帳消しにする——という概念を内包している。この言葉を使い続ける限り、購入者は「相殺」を期待し続ける。
提案するのは、「Contribution Certificate(貢献証明書)」への名称変更である。購入者は「○○プロジェクトへの貢献証明書を取得した」と開示する。これは「クレジットを購入してオフセットした」とは明確に異なるメッセージを発する。
2. 監査人のプール方式と公的機関による割当
監査人の利益相反を解消する抜本策として、「プール方式」を提案する。プロジェクト開発者は認証機関に手数料を支払い、認証機関が監査人をプールから無作為に割り当てる。監査人は開発者ではなく認証機関から報酬を受け取り、開発者との直接的な金銭関係を断つ。
さらに踏み込めば、各国・地域に公的な認証監督機関を設置し、監査人の割当と監視を行う。これはNature誌の論文(2024年)が提唱するモデルであり、生物多様性クレジット市場においては早期から導入すべきである。
3. 動的ベースラインとコントロールサイト
追加性証明の困難さに対する回答として、「動的ベースライン」を提案する。プロジェクト開始時に一度だけベースラインを設定するのではなく、同様の条件を持つ「コントロールサイト」を設定し、継続的に比較測定を行う。
医学における臨床試験のように、「介入群」と「対照群」を設け、その差分のみをクレジット化する。これにより、ベースラインシナリオの恣意性は大幅に低減される。
4. 結果支払い型(Pay for Results)への全面移行
現行のクレジット発行は、多くの場合、プロジェクト計画の認証時点で行われる。しかし、計画と結果が乖離する事例は後を絶たない。提案するのは、事前発行を廃止し、実測された環境改善の結果に対してのみクレジットを発行する「結果支払い型」への全面移行である。
5. ローカル・クレジット市場の創設
グローバル統一基準の限界を認め、流域・地域単位の「ローカル・クレジット市場」を創設する。たとえば、利根川流域の水源涵養クレジットは、利根川流域に依存する企業のみが購入できる。「江戸の敵を長崎で討つ」批判への回答であり、同時に、購入者にとってのビジネス上の意味——サプライチェーン・リスクの低減——を明確にする。
【現実的アプローチ】
6. 段階的品質認証制度(ブロンズ・シルバー・ゴールド)
すべてのクレジットを同一の厳格基準で認証しようとするから、品質と規模のトレードオフが生じる。代わりに、複数の品質段階を設け、それぞれに明確なラベルを付与する。ゴールド認証は動的ベースラインと結果支払いを要件とし、シルバー認証は第三者監査を要件とし、ブロンズ認証は自己申告ベースとする。
7. ブロックチェーンによる取引履歴の完全公開
クレジットの発行から退役までの全履歴をブロックチェーン上で公開する。誰がいつ発行し、誰に売却され、最終的に誰が退役させたか——すべてが改ざん不可能な形で記録される。これによりダブルカウントは技術的に防止され、「ジャンククレジットでジャンククレジットを補填する」ような事態も可視化される。
8. 購入者への開示義務強化
購入者に対し、「なぜこのクレジットを購入したか」「オフセット主張を行うか否か」「購入したクレジットの品質段階」を開示する義務を課す。EU Empowering Consumers Directiveは2026年から「カーボンニュートラル」主張に厳格な規制を課す。この流れを先取りし、クレジット市場側から自主的に開示基準を設ける。
9. 先行投資型パートナーシップモデル
結果支払い型への移行は、プロジェクト開発者の資金調達を困難にする。その解決策として、購入者候補がプロジェクト初期段階から「先行投資パートナー」として参画するモデルを提案する。パートナー企業は初期投資を行い、結果が出た時点で貢献証明書を優先的に取得する。
10. 義務市場との接続強化
ボランタリー市場の信頼性問題の一因は、法的拘束力の欠如である。パリ協定第6条市場や、各国の排出権取引制度との接続を強化し、ボランタリー・クレジットの一部が義務市場で認められる道を開く。高品質クレジットが義務市場で価値を持つようになれば、品質向上へのインセンティブは自ずと強まる。
Verraの思想をどう浸透させるか
Verra Nature Frameworkのオフセット禁止規定は、正しい方向を示している。しかし、規定を設けるだけでは市場は変わらない。浸透のための3つの鍵を提示したい。
第一に、購入者教育である。クレジット購入を検討する企業担当者の多くは、オフセットと投資の違いを明確に理解していない。Verraおよび認証機関は、購入者向けの教育プログラムを強化し、「なぜオフセット禁止か」「投資型クレジットの価値とは何か」を繰り返し伝える必要がある。
第二に、開示フレームワークとの連携である。TNFDやCDP、SBTNなど、企業の自然関連開示を求めるフレームワークが増えている。これらのフレームワークにおいて、「オフセット主張を伴わないクレジット購入」が正当に評価される仕組みを組み込む。開示で評価されれば、企業は自ずとその方向に動く。
第三に、先行事例の可視化である。オフセット主張なしでクレジットを購入し、それを適切に開示している企業事例を積極的に発信する。「こう開示すればよい」という具体的なテンプレートがあれば、追随する企業は増える。
読者へのインプリケーション
本稿で提示した10の処方箋は、いずれも一企業が単独で実現できるものではない。しかし、市場設計の議論に参画することは可能である。
Biodiversity Credit Alliance(BCA)は、市場参加者が原則策定に関与できるプラットフォームを提供している。日本からの参画者は少ないが、ルール形成段階から声を上げることが、将来の競争優位につながる。
また、自社のクレジット購入方針を見直す機会として本稿を活用いただきたい。「オフセット目的での購入」から「投資目的での購入」への転換は、個別企業レベルで今日から実行可能である。その際、購入動機を明確に言語化し、開示文書に反映させることが重要である。
クレジット市場は岐路に立っている。批判に耳を塞いで現状を維持するか、批判を真摯に受け止めて市場設計を根本から見直すか。後者の道を選ぶ市場参加者が増えることを願ってやまない。
参考文献・出典
Mongabay「’Independent’ auditors overvalue credits of carbon projects, study finds」2025年9月11日
Climate Home News「Verra used junk carbon credits to fix Shell’s offsetting scandal」2025年12月18日
Climate Home News「Verra’s plan to review carbon credits faster raises integrity concerns」2024年10月31日
Nature Communications「The Biodiversity Credit Market needs rigorous baseline, monitoring, and validation practices」2024年10月
https://www.nature.com/articles/s44185-024-00062-6
Biodiversity Credit Alliance 公式サイト

